黒柳徹子と言えば「国民的」と表現しても良いほど高い知名度を誇る女優である。だが映画出演は皆無に近く、ほぼ毎日顔を見せているテレビでも、その位置付けは「よく喋る玉葱頭の人」に過ぎない。そんな、顔をよく見る割に「幻の女優」と化している黒柳徹子の演技者としての姿を見ることができるほぼ唯一の機会がル テアトル銀座(他)で毎年秋に上演されている「海外コメディ・シリーズ」である。
違う文化圏の物語は、常にすんなりと受け入れることができるとは限らない。特に「笑いのツボ」と言うのは、「泣きのツボ」に比べて文化的差異が大きいように思える。だから海外のコメディを翻訳した舞台というのは、当たり外れが多い。それが本国で名作とされているものであっても、である。これは単純に作品の良し悪しということ以上に、文化的な背景の違いが影響しているのだろう。また舞台の場合、日本人が海外の人物を演じることになり、その不自然さというか、気恥ずかしさのようなものもある。だから、海外コメディばかりを上演し、しかも毎年一定の支持を得ている黒柳徹子のプロジェクトというのはなかなか凄いのだ。
黒柳徹子のこのプロジェクトが成功しているのは、彼女の日本人であるとか年齢がどうだとかといったことを超越した独特の存在感が貢献している。
本作で黒柳徹子が演ずるのは、かつてピューリツァー賞を2回受賞した大物作家。しかし恋人ウォルシュを亡くしてからの数年間は何も書くことができず、かといって生活レベルも落とさないので資金繰りが厳しくなってきている。その傍らで苦労しているのは献身的な助手のアイリーン(菊池麻衣子)だ。
誤解を恐れずに言えば、本作での黒柳徹子は、どこから見ても黒柳徹子そのものである。舞台もたくさんの花に囲まれた居間。言わば「リアル徹子の部屋」だ。でも、これは決して彼女が“素”だということではない。彼女の真骨頂は、「どこから見ても黒柳徹子」であると同時に、「どこから見ても書けなくなった作家・ローズ」でもあること。つまり彼女は「自分を消して役になりきる」というタイプではなく、「役を自分の方向に手繰り寄せる」というタイプなのだ。故・丹波哲郎と同じである。
何も書けないローズが日々何をしているのかと言えば、死んだはずなのにローズの前に現れるウォルシュとの会話を楽しんでいるのである。ローズにしか姿が見えない彼は、果たして幽霊か妄想か。この難しい存在を演ずるのは、西洋の名を名乗っても歯の浮くような台詞を言っても違和感のない稀有な俳優・草刈正雄。これまた絶妙な配役だ。
経済的に苦しくなってきたローズに対して亡きウォルシュが提案するのが、彼の遺した未完成原稿を完成させて、世に出すこと。そして、書けなくなってしまっているローズに代わって原稿を仕上げるのには、彼が目をつけたクランシーという売れない作家(錦織一清)がゴースト・ライターとして適任だという。もし“今のウォルシュ”がローズの妄想の生み出した存在であるならば、彼のアイディアも彼女の創作。したがって彼女の創作能力もまだまだ捨てた物ではないということにもなるのだが、問題はそれが彼女自身のタイプライター相手には発揮されないということだ。では本当に幽霊だとしたら? 彼女にはもう創作はできないのか?
しかし、いずれにしてもはっきりしているのは、ローズの気持ちが未だ、というよりかつて以上にウォルシュにしか向かっていないこと。幽霊か妄想かなんて、実はどうでも良いのだ。そして、そんな「失われた存在」によって、登場人物達の居場所や絆が確認されていく。この確認の物語は上手く笑いに包まれ、ベタにはなり過ぎない。非常に洗練された、上質なコメディである。
黒柳徹子のこのプロジェクトが成功しているのは、彼女の日本人であるとか年齢がどうだとかといったことを超越した独特の存在感が貢献している。
本作で黒柳徹子が演ずるのは、かつてピューリツァー賞を2回受賞した大物作家。しかし恋人ウォルシュを亡くしてからの数年間は何も書くことができず、かといって生活レベルも落とさないので資金繰りが厳しくなってきている。その傍らで苦労しているのは献身的な助手のアイリーン(菊池麻衣子)だ。
誤解を恐れずに言えば、本作での黒柳徹子は、どこから見ても黒柳徹子そのものである。舞台もたくさんの花に囲まれた居間。言わば「リアル徹子の部屋」だ。でも、これは決して彼女が“素”だということではない。彼女の真骨頂は、「どこから見ても黒柳徹子」であると同時に、「どこから見ても書けなくなった作家・ローズ」でもあること。つまり彼女は「自分を消して役になりきる」というタイプではなく、「役を自分の方向に手繰り寄せる」というタイプなのだ。故・丹波哲郎と同じである。
何も書けないローズが日々何をしているのかと言えば、死んだはずなのにローズの前に現れるウォルシュとの会話を楽しんでいるのである。ローズにしか姿が見えない彼は、果たして幽霊か妄想か。この難しい存在を演ずるのは、西洋の名を名乗っても歯の浮くような台詞を言っても違和感のない稀有な俳優・草刈正雄。これまた絶妙な配役だ。
経済的に苦しくなってきたローズに対して亡きウォルシュが提案するのが、彼の遺した未完成原稿を完成させて、世に出すこと。そして、書けなくなってしまっているローズに代わって原稿を仕上げるのには、彼が目をつけたクランシーという売れない作家(錦織一清)がゴースト・ライターとして適任だという。もし“今のウォルシュ”がローズの妄想の生み出した存在であるならば、彼のアイディアも彼女の創作。したがって彼女の創作能力もまだまだ捨てた物ではないということにもなるのだが、問題はそれが彼女自身のタイプライター相手には発揮されないということだ。では本当に幽霊だとしたら? 彼女にはもう創作はできないのか?
しかし、いずれにしてもはっきりしているのは、ローズの気持ちが未だ、というよりかつて以上にウォルシュにしか向かっていないこと。幽霊か妄想かなんて、実はどうでも良いのだ。そして、そんな「失われた存在」によって、登場人物達の居場所や絆が確認されていく。この確認の物語は上手く笑いに包まれ、ベタにはなり過ぎない。非常に洗練された、上質なコメディである。



