アメリカンショートヘアーのグーグーが、とにかくかわいい。
初代の同居猫・サバを亡くした漫画家の麻子さん(小泉今日子)。創作意欲もなくなり、やがてペットショップに吸い寄せられるように入って行って、猫達の真ん中でへたり込んでしまうなど、かなり“ヤバい”状態に。そこで一目惚れして連れて帰って来るのがグーグー。“禁断症状”に陥っている時に、あんな猫が現れたのでは無理もない。
そのかわいさは、フィクションだと分かっていても、「1人(1匹)で街を歩かせて大丈夫かしら」などと心配してしまうほど。どこまでも追跡して行ってしまう麻子さん達の気持ちも分かるというものだ。
だが、この映画の中心は猫ではない。言うなれば、麻子さんと、彼女を取り巻く人間達に、猫を加えた“世界”全体の微妙なバランスによって成り立っている。“ギリギリの領域”に片足を突っ込んでいる女性漫画家・麻子さんに、リアリティを与えつつもなおかつ“主役”という場所に踏み止まらせているのは、小泉今日子という人の持っている華のなせる業なのだろう。
そして登場人物達、猫達と同じくらい重要な意味を持つのが吉祥寺という街。これはもちろん、原作が作者・大島弓子の吉祥寺での生活を基に書かれたものだからではあるのだが、単に「吉祥寺に住んでいたから」というだけではない必然性が感じられる。麻子さんのような漫画家さんが住んでいて、予測不可能な行動をとるアシスタント・ナオミ(上野樹里)や、妙に理屈っぽい青自(加瀬亮)のような青年や謎の“死神”(マーティー・フリードマン)がいても違和感がなく、猫も似合うのはやはり中央線沿線であり、舞台装置まで含めると高円寺や中野ではなくてやはり吉祥寺なのだ。
人と猫と街が織り成す空気感、それらが相互に影響を及ぼし合うという世界観は、よく出ている。
猫用トイレとかマンションとか、2時間ドラマも真っ青の露骨なタイアップは目に付く。が、あそこまでやってくれれば逆に1回りして楽しむこともできるので、これはまあ、ご愛嬌。
それよりも気になるのは、“素材”の扱い方だ。上野樹里は、主役も張れる華のある女優さんだが、本作を観ても分かるように、みたらし団子を食いながら歩いていてもアジ演説をぶっていても森三中と戯れていても違和感がないという稀有な存在である。そして上野樹里と共に麻子さんのアシスタント・チームを構成する森三中の面々は、無理に笑える画面を作ろうとしなくても、“少しの隙間”さえあれば、その中で面白さを醸し出してくれる。4人のチームワークも良い。なので、映画の中にわざわざ「ウケ狙い」的アクションを付け足す必要はないのではないか。
楳図かずお氏は、実際にあの辺りで目撃情報も聞くし、特別出演してもらうのも良いとは思うが、わざわざネタっぽいことまでやってもらうことはないだろう。歩いているだけで充分にインパクトがある。
音楽監督・細野晴臣が自ら手がけたという猫の場面の効果音は、それ自体はとても楽しく、画面にも確かに似合っているのだが、前後の文脈を考えるとやはり過剰と言わざるを得ない。
つまり、何と言うか、全体的に、素材はいいのに調味料を余計に使い過ぎてしまったような感があるのだ。その辺りは実にもったいない。
で、結論としては、やっぱりアメリカンショートヘアーのグーグーが、とにかくかわいいのである。
そのかわいさは、フィクションだと分かっていても、「1人(1匹)で街を歩かせて大丈夫かしら」などと心配してしまうほど。どこまでも追跡して行ってしまう麻子さん達の気持ちも分かるというものだ。
だが、この映画の中心は猫ではない。言うなれば、麻子さんと、彼女を取り巻く人間達に、猫を加えた“世界”全体の微妙なバランスによって成り立っている。“ギリギリの領域”に片足を突っ込んでいる女性漫画家・麻子さんに、リアリティを与えつつもなおかつ“主役”という場所に踏み止まらせているのは、小泉今日子という人の持っている華のなせる業なのだろう。
そして登場人物達、猫達と同じくらい重要な意味を持つのが吉祥寺という街。これはもちろん、原作が作者・大島弓子の吉祥寺での生活を基に書かれたものだからではあるのだが、単に「吉祥寺に住んでいたから」というだけではない必然性が感じられる。麻子さんのような漫画家さんが住んでいて、予測不可能な行動をとるアシスタント・ナオミ(上野樹里)や、妙に理屈っぽい青自(加瀬亮)のような青年や謎の“死神”(マーティー・フリードマン)がいても違和感がなく、猫も似合うのはやはり中央線沿線であり、舞台装置まで含めると高円寺や中野ではなくてやはり吉祥寺なのだ。
人と猫と街が織り成す空気感、それらが相互に影響を及ぼし合うという世界観は、よく出ている。
猫用トイレとかマンションとか、2時間ドラマも真っ青の露骨なタイアップは目に付く。が、あそこまでやってくれれば逆に1回りして楽しむこともできるので、これはまあ、ご愛嬌。
それよりも気になるのは、“素材”の扱い方だ。上野樹里は、主役も張れる華のある女優さんだが、本作を観ても分かるように、みたらし団子を食いながら歩いていてもアジ演説をぶっていても森三中と戯れていても違和感がないという稀有な存在である。そして上野樹里と共に麻子さんのアシスタント・チームを構成する森三中の面々は、無理に笑える画面を作ろうとしなくても、“少しの隙間”さえあれば、その中で面白さを醸し出してくれる。4人のチームワークも良い。なので、映画の中にわざわざ「ウケ狙い」的アクションを付け足す必要はないのではないか。
楳図かずお氏は、実際にあの辺りで目撃情報も聞くし、特別出演してもらうのも良いとは思うが、わざわざネタっぽいことまでやってもらうことはないだろう。歩いているだけで充分にインパクトがある。
音楽監督・細野晴臣が自ら手がけたという猫の場面の効果音は、それ自体はとても楽しく、画面にも確かに似合っているのだが、前後の文脈を考えるとやはり過剰と言わざるを得ない。
つまり、何と言うか、全体的に、素材はいいのに調味料を余計に使い過ぎてしまったような感があるのだ。その辺りは実にもったいない。
で、結論としては、やっぱりアメリカンショートヘアーのグーグーが、とにかくかわいいのである。



