バラク・オバマが稀に見る激戦を制した民主党の大統領候補指名レース(※)。変革を訴えて戦いを優位に進めたオバマに対し、演説で涙を見せて巻き返しを図るヒラリー・クリントン。オバマがグレーやブルーの地味目のスーツと組み合わせた白いシャツをまくって見せて安心感と若さとセクシーさをバランスよく演出すれば、ヒラリーも『プラダを着た悪魔』の鬼編集長のモデルとされるファッション誌のカリスマ編集長のコーディネートによって華やかさを強調した。

(※)本書刊行時点では未決着。
 一方、本選挙で民主党候補と戦うことになる共和党のジョン・マケインは、アーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローンの協力を得て、ベトナム戦争に従軍し捕虜になった経験をもつ自分が「歴戦の英雄」であることをアピール。

 政治家にとってテレビ受けするかどうかが重要だといわれるようになって久しい。当然、熾烈な戦いの裏側には高度なメディア対策合戦が存在する。そしてアメリカ政治の場合、そこには常にハリウッドの影がちらつく。本書はオバマ陣営のキーマンであるハリウッドの大物プロデューサー・デヴィッド・ゲフェンの人物像を語り起こすことから始め、ワシントンとハリウッドの関係の歴史的経緯を紐解いていく。

 政治の世界でテレビが決定的な役割を果たした最初の例としてよく挙げられるのが、ジョン・F・ケネディとリチャード・ニクソンのテレビ討論である。だがワシントンとハリウッドの関係は、それよりも前から語り始めなければならない。

 著者は映画を政治に利用した最初の大統領としてプロパガンダ映画の製作・宣伝を支援したウッドロウ・ウィルソンの名を挙げ、さらに本格的にハリウッドと結び付いてメディアを活用した最初がフランクリン・ルーズベルトであると解説。演劇部出身のF・ルーズベルトはハリウッドスターと積極的に交流することで注目を集め、ラジオを通じて国民に直接語りかけ、病から復帰した後は演壇に向かう際に必ず自分の足で歩いて見せて「鉄の男」を演出した。やがてメディアの主役はテレビへと移るのだが、選挙運動にテレビを活かした最初が、実は他ならぬニクソンであることも語られる。ニクソンもまた、演劇部出身であった。

 ウォーターゲート事件で退場したニクソンはハリウッドやメディアから嫌われたが、その後も様々な形でハリウッドと政治の関わりは続き、やがてロナルド・レーガンやシュワルツェネッガーといった政治家が登場することになる。こうした歴史を踏まえた上で、「ハリウッドスターに抱く夢や感動と大統領候補たちに抱くカリスマ性やセックスアピールに似たものは同質ではないだろうか」と指摘して本書は締めくくられる。

 政治家が単なる印象の良し悪しだけで選ばれてしまうとしたら、それは危険だ。では政治家がパフォーマンスをするのが悪いかというと、そうとも言えない。やはり「伝える努力」というのは必要だし、それこそが政治家の重要な役割でもある。そのパフォーマンスが真摯な姿勢の表れなのか、それとも中身が伴わないのかは結局、有権者側がしっかり判断すべきことなのだ。

2008.10.06 Mon l 書評 l COM(0) TB(0) l top ▲

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